本コンテンツはプロモーションを含みます
石山アンジュ シェアハウスで育った?両親や生い立ちについて調査
内閣官房シェアリングエコノミー伝道師に任命され、政府と民間の間で規制緩和や政策にも従事し、政府の委員なども多く勤めている石山アンジュさん。
テレビ番組のコメンテーターとしても活動していますね。
そんな石山アンジュさんは、シェアハウスで育ったと聞きました。
一体どういうことなのか、両親や生い立ちについても調べてみました。
もくじ
石山アンジュプロフィール
引用元 石山アンジュインスタグラムより
本名:石山 安珠(いしやま あんじゅ)
生年月日:1989年4月20日
出身地:神奈川県横浜市
学歴:国際基督教大学卒
職業:社会活動家・コメンテーターなど
大学卒業後、株式会社リクルートに入社。その後ベンチャー企業などを経て、シェアリングエコノミー協会の立ち上げに携わり、現在はその協会の代表理事を務めています。
シェアハウスで育ったとは?
「実家がシェアハウス」という石山アンジュさん。
ちょっと特殊な環境で育ったようです。
父親が実家でシェアハウスを経営していて、そこで育った石山さん。
さまざまな肩書の大人と爆音の中で、それが当たり前の生活として育った石山さんは、人見知りなどなかったそうです。
学校に行くようになり、友達の家に行ったときに自分のいる環境が普通ではないことを知ります。
幼い時から色々な職業、色々な国の人と関わってきたことで今の石山さんがあることは間違いないですね。
シェアハウスで育ったとは、父親が経営するシェアハウスがアンジュさんの家だったという事だったのですね。
両親について
石山アンジュさんの両親はどんな方なのでしょうか。
父
石山アンジュさんのお父さんは、石山和男さんです。
引用元 石山アンジュインスタグラムより
バイク旅と料理が好きだういうアンジュさんのお父さん。
インスタグラムには料理の写真がたくさん投稿されています。
レコード会社に勤務していた頃、ブラジル音楽の虜になり会社を退職し1年間バイクでブラジルを巡ったそうです。
帰国後、「エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ」(サンバのチーム)に入り2007年にプレジデンチに就任し、10年間サウーヂの顔として活動していました。
そしてオブリガードの会をもちまして、石山和男がサウーヂプレジデンチを退任し、山上陵太がその職に就くことになりました。
— G.R.E.S.SAÚDE サウーヂ (@gressaude) September 3, 2017
飯塚章さんよりお祝いのお花を頂きました。 pic.twitter.com/kUtVwX7xuX
サンバ歌手としてライブ活動もしています。
ライブ直前情報
— naniarumusic (@naniarumusic) July 20, 2024
●ブラジル街角音楽団 BANDA VAMOS BEBER (ヴァモス・べベール)https://t.co/1VwkfHzvoB
日付: 2024/07/21 (Sun), START: 19:00
出演: 石山和男(vo), 鈴木厚志(p), 幸枝(fl), 西村誠(perc), 尾花毅(violao-8)
場所: 桜木町 JAZZ SPOT DOLPHY (神奈川県)
その他、横浜でとてもオシャレなシェアハウスVita Bellaも経営しています。
アンジュさんの原点でもあるシェアハウスですね。
まだあります!本も3冊出版しいますし、バイク雑誌にコラムも書いているようです。
アンジュさんが12才の時ご両親は既婚しています。
本当にアクティブなお父さんですね。
「自由奔放な父に育てられた」と言っていましたが、本当に好きなことをして、それが仕事にもなっているなんて憧れますね。
母
石山アンジュさんのお母さんは、しぎはらひろ子さんです。
引用元 しぎはらひろ子インスタグラム
東京都大田区出身
デザイン界の名門、神奈川県立神奈川工業高校産業デザイン科を卒業しています。
卒業後、松下通信工業、通信開発部入社。
23歳でファッション業界へ転職し、デザイナー、アパレル企業コンサルティングファームを経て、ミストグレイ・ファッションプランニングを設立します。
SIBUYA109やアトレのプロデュースや商品企画も行ったそうです。
24歳で自身のブランドを持ち、26歳で青山に「古着とアンティーク」のお店をオープンします。
この頃は3かけ月に1回はイギリスに買い付けに行っていたっそうです。デザイナーもしながらだったのでとても忙しかったけれど、とても楽しかったそうです。
32歳でアンジュさんを出産。
旦那さんの手助けもあり、出産後2か月で仕事に復帰しています。
35歳で自宅を総リフォームしたと言っているので、この時に自宅をシェアハウスにしたのでしょうね。
3か月ブラジルに行っていて、帰国後サンバチームの衣装のデザインを手掛けるようになったそうです。
このサンバチームは旦那さんの和男さんのチームで、デザインだけではなくアンジュさんと一緒に踊っていたそうです。
アンジュさんが小学校1年生の時「普通のお母さんがいい」と言われ、きっぱり仕事を辞め専業主婦になります。
その後、アンジュさんが小学校5年生になり「デザイナーに戻って頑張ってね」の言葉で仕事に復帰。
仕事をしなかった5年間は、「人としてバランスよく成長していく神様からのプレゼントだった」と言っています。
仕事復帰して間もなく和男さんと離婚しています。
お母さんもお父さんに負けずバイタリティーのある人ですね。
インスタグラムを見ると、生き生きしている写真ばかりで素敵です。
生い立ち
引用元 石山アンジュインスタ
幼い頃から色々な国の色々な職業の人たちと生活をしてきたアンジュさん。
価値観に捉われず、自由を愛する両親からは「地球人になれ」と育てられてきました。
そんなアンジュさんが12才の時両親が離婚します。
離婚後は、父親の家、母親の家、友人の家と1週間をそれぞれ別の家で過ごすようになり、次第に「自分の居場所がない」と思い始めます。
子供の頃からの夢は「ピース・メッセンジャー」(国連が任命する、世界平和を訴える使者)だというアンジュさんは、高校生の頃は周りに話が合う人がいなかったそうです。
平和研究の体制が整っている「国際基督教大学」(ICU)への進学を希望しますが、
「大学に行く必要はない」と言う父を説得しICUに入学。
入学後に両親の体調不良より、学費をテレビ局のイベントコンパニオンや飲食店のアルバイトで稼いだいたそうです。
大学卒業後、新卒でリクルートに就職。3年半働いたのちクラウドワークスに入ります。
その後はシェアリングエコノミーの普及に全力を注ぎ、内閣官房シェアリングエコノミー伝道師に任命され、政府と民間の間で規制緩和や政策にも従事し、政府の委員なども多く勤めています。
2020年10月に婚姻届けは出さず事実婚という形で結婚しますが、2024年9月に事実婚を解消したと発表しています。
まとめ
石山アンジュさんの生い立ちや両親について調べてきました。
少し変わった生い立ちなのは、ご両親の生き方によるものなのですね。
これからの石山アンジュさんの活躍に注目していきたいと思います。
最後まで見て頂きありがとうございました。